西城秀樹さんが亡くなられた。
子供の頃から大ファンで、小学生の頃は
振り付け込みで歌ったものだった。
今でもたいがいの歌を歌詞なしで歌える。
ちびまる子ちゃん世代である。
お会いしたのは秀樹さんが
40代半ばくらいの頃だったと思う。
テレビ局で撮影している時期があって
楽屋をひとつ借りていた。
コーヒーでも買いに行こうと狭い廊下を歩いていたところ、
前から背の高いにいちゃんが歩いてきた。
肩がぶつかるほどではないが、
お互い端によらなければすれ違えない。
そんな廊下だ。
1メートルほど前で気がついた。
え、ヒデキ・・ヒデキィだ!!
振り返って過ぎ行くヒデキィを見た。
あのヒデキィがそこにいる。
僕は楽屋に帰り、閉じこもった。
どうやら秀樹の楽屋はすぐそこらしい。
近くに小さな男子トイレがあって
そこでヒデキィに出会うことを考えると
怖くてとても使えない。
狭いトイレでヒデキィと連れションになったら
僕は何を話せばいいのだろう。
「あ、あ、どうも、ずっと秀樹さんのファンでした」
「あ、それはどうも・・」
なんてお互いが正面の壁を向きながら、話すなんて不自然だ。
そもそも話すのが正解なのか。
それすらわからない。
考えれば考えるほどわからなくなって
わざわざ遠くのトイレに行った。
あまりにも好きすぎて、見れないなんて感覚が
大人になってやっとわかった。
結局それ以降、ヒデキィに会うことはなく、
言葉にできない虚しさを抱え、家路に着いた。
自分があなたの大ファンだと伝えて
握手してもらわなかったことに
今、とても後悔している。
もし笑顔で握手してもらえたような記憶が僕の中にあれば
きっと今でも心温められる記憶のワンシーンになっていたのだろうと思う。
もちろんヒデキィにかぎってそんなことはないと確信するが
あるいは自分の気持ちを伝えて傷つくこともあるかもしれない。
でもやはり僕は勇気を出して、後悔しないような生き方をする、
ということを今なら選ぶだろう。
これまでいろんな後悔をした。
仕事でも、なぜあの時もっと踏み込まなかったのだろう、
という後悔がたくさんあったように思う。
あんな惨めな後悔はしたくない、という思いが
僕の現在の行動規範の大きな根源になっているのだろうと思う。
ご冥福をお祈りいたします。
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