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大阪生まれ。

 

両親は瀬戸内海の小豆島というところの出身で

僕自身、大阪生まれの大阪育ちですが

家庭内は小豆島の文化圏ということもあり、

友人たち曰く、かなりのんびりしている、とのことです。

 

現在は大阪と東京に仕事場があります。

大阪はお城のそばの京橋に

東京は馬事公苑というところに住んでおります。

趣味と言えるものは映画を見たりとか(たぶん何千本か、観ています)

水泳が好きで5000mを年間300日くらい泳いでるかもしれません。

 

現在は主に企業広告などで人物、料理などの

スチール、映像の撮影をしています。

昔は「カッコいい写真が撮りたい」と青くさいことを言ってましたが、

偶然「地域おこし」に関わることになり、日本中を回って、

いろんなカタチで地方をPRすることになりました。

2011年の東日本大震災の後も、車で現地に通い、

被災地を去った人々が戻ってきてくれるよう

東北の魅力を伝えることを10年間やってきて

一区切りついた、と思ったら今度はコロナ禍に。

日本中のお店が閉まり、食品が流通しなくなって

生産者さんたちが困っているということで

そんな食材を売るための仕事に関わるようになりました。

コロナ禍では自分の仕事もほぼ無くなって、

立ち止まるというか、全てが停止したような

そんな時間を初めて経験しました。

この先、何がしたいのだろう、と自分に問うた時

「カッコいい写真が撮りたい」という思いはなくなっていて、

もっと違う生き方があるのでは、と漠然と考えるようになりました。

おそらく地域おこしや、震災での仕事を通して、

ささやかながらも「誰かのお役に立てているかも」ということに、

やりがいや、達成感を感じることが多かったからだろうと思います。

生まれ育った関西に(勝手に)何か、役に立つことをしようと

2021年、まだコロナ禍厳しい折り、東京ナンバーの車が他所を走っていると

石を投げられそうな時ではありましたが、大阪に仕事場を設けました。

振り返ってみれば、1997年、神戸の震災後、

数ヶ月してフリーランスとして独立し、

(こんな時に独立だなんて、今考えれば無謀・・)

高速も倒壊して道がない中、「がんばろう神戸」という仕事で

片道4時間半かけて三宮に通っていました。

応援しにいっているのに、神戸の方々の

「時間かかるのに、来てくれてありがとうな」

という優しい言葉が心に染み入りました。

今思い返すと、ずいぶんな災害人生ですね・・ 。

 

でもそうやって人と関わり、いろんなものを共有させてもらって

生きていくことが、自分にとって、とても心に響くことであり、

大切なことなのだろう、と今は考えています。

 

川田雅宏

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