山崎蒸留所ブランドブック

山崎、白州蒸留所Webサイト用に
撮りおろしたものです。

​この撮影は個人的な思い入れもあって

記憶に残っているうちに撮影後記として

書くことにしました。

ふたつの蒸留所を一年かけて撮影しています。
夏に始まり、翌年の春まで。

山崎といえば竹林というイメージがあります。
たしかに蒸留所に面した木々はほぼ竹ですし、
東洋的な感じがします。

暇ができるとカメラと三脚を担いでに山に入り、

良いアングルを探すために一人散策しました。

日本的な繊細さがありながらも、
そこに無骨な力強さがあれば嬉しい。

それが頭の中に描いていた、

山崎の写真だったような気がします。


外国の文化に触れるほど
自分は日本人であるということを

強く自覚しました。

そういった意味で日本生まれのウイスキーは
僕にとって、ヒネリを効かせなくていい、

とても心地良いものでした。

日本人だからこうあるべき、という思考はまったくありませんが、
でもたくさんのことが、そんな個人的背景によって

成り立っているのかもしれません。

蒸留所からほど近い、水無瀬神宮。
ここもずいぶんと通いました。


四季は追っていますし、

光が変わる時間に合わせて何度も訪れました。

この光の当たり方は夕方ですね。
秋といえども西の日暮れは遅いです。

ディレクターの方に言われたのは、

決め打ちばかりじゃダメだ、ということでした。
肩に力の入っていない、あなたの視線のような写真を

たくさん撮って欲しい、と。

それってどういうことなんだろうなーとずいぶん考えました。
ずっとダメ出しされて、凹んだりして、何度も話し合いました。

おそらくこういうことなんだろう、という感じが掴めるまで、
かなりの時間がかかったと記憶しています。

振り返ってみれば学ぶことだらけの撮影でした。
ここで得たものはたくさんある気がします。

 

夏の夕暮れ。

さっきまで山が霞んで見えないくらいの大雨でしたが、
台風一過後の空のように清々しく晴れ渡りました。

水をたっぷりと含んでいた厚い雲の破片が、
山に雨を落とし、空を悠々と移動して行きます。

今日は撮らないつもりでいたので、
慌てて機材の準備をし、蒸留所を飛び出しました。


理想とする瞬間に出会えるか、というのは
風景写真の醍醐味のひとつであると思います。

 


翌年の春、山崎蒸留所と白州蒸留所の

桜の撮影が決まっていました。


山崎は順当にいけば、開花は4月の初め。
白州は南アルプスの麓なので、

4月中旬過ぎという話でした。

桜の厄介なところは寒暖差で一週間くらいは

前後してしまう、ということです。


つまりいつ咲くかは、ほぼ直前にならないと分かりません。
でも桜がなければ、ブランドブックが成立しないわけで・・・。

悩みに悩みましたが、僕は覚悟を決めました。
3月の終わりから4月の終わりまでのひと月間、

他の仕事を休む、と。


そんでもって、絶対に撮る、

と誓ったものでした。

と、言うのはカッコいいですが、

でもお勧めはしません。


休んだことが後々、ボディブローのように

財布に効いてきます・・・(涙

再び水無瀬神宮です。
大阪で唯一、名水百選に選ばれている湧き水です。

たしか水でこの地を開拓したのは千利休でした。
水が良い、といって茶室を作ったと聞いた記憶があります。

今の時代、良い水とは何か、ということはすでに

数値化できているのかもしれません。
単なる水のうまさだけではなく、何に適した水なのか、

ということも同様です。

しかし当然のことながら、昔はそうではありませんでした。
情報もない、移動手段もない、同時に比較できない、
それなのに、ここの水がいちばん美味い、

と言い切れたのはすごいことだと思います。


でも本来、人の五感は

かなり優れていたのだと僕は考えています。
 

その感覚を使わずして、僕たちはいろんなことを

見失っているのかもしれません。

昔の人々の研ぎ澄まされた感覚に出逢う度、
もっとワイルドに立ち返ろう、とささやかながら

心に誓ったりします。

すぐに忘れてしまうんですけど・・・。

僕が言うまでもないですが、ウイスキーを作る工程は複雑で、
また組み合わせはほぼ無限のように見えます。

何十年も寝かせたものすごい数の樽から、
原酒をサンプリングして、小さなボトルに詰め替えます。
それが写真左手のもの。
細かなデータが書かれています。

この何千だか、何万だかの原酒を嗅ぎ、
口に含み、状態を見極めます。

今ここで寝かせるのを止めるべきなのか。
もしくはその原酒のピークは1年先だと、判断するのか。
明確な答えがないだけに、その基準がどこにあるんだろう、

といつも不思議に思います。

この原酒を組み合わせて、ウイスキーが作られます。
毎回、同じものが作れるってすごいですよね。

ウイスキーの素人である僕が聞いたところによると、
お酒にも個性というか、時として

クセのようなものがあった方がいいようです。

僕のような素人には素直なお酒が飲みやすいですが、
飲み慣れて来ると、そんなものつまらない、

ということもあるようですね。
それゆえ、時にちょっと個性的な原酒を混ぜるそうです。

原酒の中は、手に負えないほど個性的なものが

できることがあるようで、
それだけではまったく商品になりません。

ですがそんな原酒を一滴落とすだけで、
これまでなかった新しい香りがそこに生まれたりします。

なんだか社会の縮図みたいな感じがしませんか。
ブレンダーというのはそういうことも仕事です。

蒸留所の中で紅葉が美しく、

かつ緑のモミジも残っている場所を探しました。
ですがベストな場所ってなかなかないんですよね。
やっと見つけてもボトルを乗せる場所がなかったり。



ずっと撮影のアテンドをしてくださってた蒸留所の方が
「どこかから木のテーブルでも持って来ましょうか」

と言って下さいました。

しかしながらお尋ねすると新しいテーブルということで、
大変かもしれませんが、ウイスキー樽を持ってくる事は

出来ますでしょうか・・とお願いしました。

樽のある場所からここまではかなり遠く、

僕も手伝うつもりでいましたが
それを丁重に断られ、長い時間をかけて

重い樽を運んで来てくれました。

なのに樽、ほとんど写ってませんよね。
ホントすいません・・・。

でも写っているショットもあるんですよ、実は。
この写真がいちばんクローズなものなのです・・・。



ボトルの中に紅葉が反射し、
表面には山崎の森が映っています。
これが商品写真なら、間違いなく落第ですね・・・。

でも山崎のボトルにはこの方が相応しいと
そのままストレートに撮影しました。
 

写真を撮る時に心掛けていることは、
見る人に何かしら伝わることがあるだろうか、

ということです。

ポジティブなものだけではなく、

切ないとか、息苦しいとか、
どんな感情でも良いと思います。

 

カメラマン用語で言えば

「グッとくるか」ということです。

 

変な表現だとは思いますが

カメラマン同士では「グッとくるね」

なんて言葉をよく使います。

もちろん褒め言葉です。

 

「写真に説明は要らない。

グッとくるか、どうか」

てな感じです。



近寄れば良い、とはまったく思いませんが、

肉眼よりも近い距離で見れば、
普段は気がつかないメッセージを、

見つけることができる場合もあります。

それは息づかいであったり、生の躍動であったり、
もしくはその人の感情だったりします。

いくら構図やライティングが決まっていても、
その写真から手触りのようなものが感じられなければ
良い写真とは呼べない、と僕は思っています。

見た人の気持ちの中で

何かしらの感情がわき上がること。

 

そういう写真が捉えられるまで、

​みんなに「まだなのー」と非難されながら

​しつこくシャッターを切り続けます。

暗いところから眺める光には
吸い込まれるような魅力があります。

昔、旅した冬のアイルランドは
毎日、小雨まじりの曇天。


最果ての地と呼ばれる断崖だらけの岩の島で、
身を切るような強風が容赦なく、体温を奪っていきます。

岸壁から海を眺めていると
雲が割れ、光の筋がこぼれて、

海をきらきらと照らし出しました。

その光景は沈んだ気持ちを溶かしてくれるような、

そんな感触がありました。

光には希望がある、とその時感じたことは

今でもよく覚えています。

写真は死んでも撮れ、

とディレクターに言われました。


死ぬ気で撮れ、ではないんです。

これが・・・。

「これはこうあるべき」という

呪縛のようなものは誰の中にも

あるものだと思います。

それを変える。

言葉にするのは簡単ですが

そこに至る道程は遠いです。

終わりなき昇り坂を
ずっと歩いている気分です。



子供の頃、電車の窓から
山崎蒸留所がよく見えました。

当時は看板が響のデザイン文字で
あれが山崎のイメージという人は

多いのではないでしょうか。

あのボコボコしたオブジェが

「響」という漢字だと知ったのは、

ずいぶん後のことです。

 

おまけに、そこの写真を自分が撮るようになるだなんて、

何とも不思議ですね。

子供の頃の記憶ながら、

あの金色に輝く響のオブジェは

強く心に残っています。


なんだか大人の世界でした。

エレベーターを降り、
その扉が閉まれば、
ほぼ完璧な暗闇。

機材を抱えたまま、

思わず立ち尽くしてしまいました。

蒸留所の方がコツコツと靴音を響かせて、
慣れた足取りで暗闇の中を歩きます。

パチンとスイッチの音がして、
ボワーッと照明が灯り始めました。
 

 


写真の暗室がこんな感じでした。

フィルムなどを詰める時の暗室は、

普通の人がなかなか体験できない完全な闇です。


まったく何も見えません。
自分の掌も見えなくて、
それをどれだけ目に近づけても、
裏返してみてもまったく何も見えません。

目を開けているのか、閉じているのか
それすらわからなくなります。

見渡せば空間が永遠に広がっているような錯覚があって、
そんな宇宙みたいな場所に、

自分の魂だけが浮かんでいるような感じでした。



暗闇ってとても怖いんですけど、

言葉にできない魅力もあるのですよね。

 

普段よりも自分の中に

深く入っていけるような気がします。

湿潤な空気が伝わる写真を撮って欲しい。
撮影が始まる前から、ずっと言われていました。

とはいえ、それは自然現象ですから、
出逢いを期待するしかありません。

4回通った山崎の最終回。
ビルの通路から夜明けの蒸留所を狙います。

正直、もうダメかなと思っていました。

ある朝、蒸留所を狙っているとディレクターの方が

興奮気味に僕の名を呼びます。


駆け寄るとビルの反対側に見える桂川に、

満開の桜を包むようにして待ち望んだ霞がかかっています。

慌てて三脚を抱えて移動し、夢中でシャッターを切り続けました。
霞は水蒸気ですから、太陽の熱ですぐに消えてしまいます。

一通り、撮影し終えると拡大してピントの確認。
でも霞んでよくわからないのでした・・・。

人生、思うようにいかないことばかりですが

​たまにはキマることもあるようですぜ。

冬。

夜明け前の山崎の寒さは

かなりのものです。

ブルブル。

ダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、
それでも寒いので飛び跳ねてみたり・・・。

仕事柄、起床時間は毎日バラバラで、
深夜の3時くらいに起きる、なんてこともそれほど

珍しいことではありません。

ですので、夜明けをみる機会も意外とあります。
もちろんそれを待つこともありますし。

森閑とした蒸留所の敷地内。
特に耳を澄まさなくても、

自分の呼吸の音が自然に聴こえたりします。


夜明けの変わっていく空の色を確かめながら
一枚ずつシャッターを切っていきます。

いやあ、ほんと寒かった・・・。

前年の夏から始まった撮影も

この春で終わりです。

僕たちは早朝、蒸留所から離れた場所で
夜が明けるのを待ちました。

太陽が昇り始めると影が強まり、
いろんなものを立体的に照らし出します。

光が変わっていく様を確認しながら

シャッターを切っていきます。

太陽の位置が高くなり過ぎると陰影が弱くなるので
蒸留所に光が当たり始めてから

10分ほどで撮影は終了。

これが蒸留所での最後の写真でした。
この朝、山崎を離れ、東京に戻ります。




今でも新幹線から山崎蒸留所を見るたび、
「撮影」という目線でその風景を眺めてしまいます。

新緑の森を濡らす雨の風景を見て、
ああ、これもいい感じ、と思ったり。

 

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