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戸田さんに言われたこと

  • 執筆者の写真: Aloha-boy
    Aloha-boy
  • 8月8日
  • 読了時間: 3分

更新日:9月8日

このは撮影はコロナ禍が始まって

2、3ヶ月経った頃だったと記憶している。


「もうくたびれちゃった。昨日、航空自衛隊に話を聞きに行ってたのよ」

開口一番、翻訳家の戸田奈津子さんはそういう。

「どうしても翻訳できないところがあって、パイロットの方に直接聞いてたのよ、

 ああ、これはトォムの映画の仕事」

トォム・・?トムハンクスか?いや、トムクルーズ!?トップガンか!

書けない話だらけだが、戸田さんのハリウッドスター話は面白かった。


この頃、僕はといえば、コロナでほとんど失業に近く、

閉鎖されていたプールがやっとオープンして、毎日泳いでばかりいた。

空き時間で撮影のライティングを構成してみたり、

フォトショップのトレーニングを毎日繰り返した。

そして将来のビジョンが自分の中にないことも知った。

正確に言うと知らなかったわけではない。

いくら未来図を描いていても、それに向かって進むこと、

そしてその理想を手に入れることは、とてつもなく難しいと知っていたし、

日々の雑多に追われ、そんなことを考える余裕すらなったように思う。


でも完全に立ち止まった。

全てが停止した自分の時間の中で、ずっと先延ばしにしていた

ぼんやりとした未来図のようなものが、事ある毎に僕の思考を占め始め、

やがて、どうやっても解決せざるを得ない、最も大切な事柄になってきた。


なぜカメラマンになったのか、

なぜ上京したのか。

細かく書くとロングストーリーになるので端折りますが、

ただ振り返ってみると自分がやりたかったことは

幸運なことに、ほぼ実現できていたと思う。

じゃあこの先もそれを継続したいか、と問われると

即答するのはかなり難しい。

自分の中にそれらに対する高揚感のようなものがなく、

背中を強く押し出してくれるような気持ちが芽生えなかった。


ただひとつ、生まれ故郷の関西に帰って、

こんな自分でも何かしら貢献できることはないだろうか、

そう考えた時に久しぶりにワクワクした気持ちになれた。

だが何十年も関西から離れて、ネットワークもなく、

おまけに時はコロナで、東京ナンバーの車で他県に行くだけでも

石を投げられそうな時代に、それはあまりにも高いハードルのように思われた。


戸田さんが話します。

「ハリスンがゆうのよ」

ハリソンフォードか!

「僕はとてもツイていたって。大切なことは、『正しい時に、正しい場所で』だと。

 いくら頑張っても、ずっとうまくいかなかったことが、時間や場所を変えることで

 価値を持つようになる、いつもそう言ってたわ。好きなことをやった方がいいわよ」

戸田さんは僕を見て、そう言った。

その翌週、新幹線で大阪に行った。

コロナ禍のせいで、一両に3人しか乗っていない。

その日、僕は大阪の事務所の契約をした。


あれから5年が経つ。

関西の仕事はまだまだ発展途上だが、東西を行き来することで

仕事の幅も増え、新鮮な気持ちで向き合えることも多くなったと。

コロナ禍がなければ、この選択も間違いなく無かっただろう、と考えている。


生きていると、いろんな選択や決断が、毎日のように現れる。

簡単なものもあれば、自分の人生に後々影響を与えるような

そんな重いものまであるのだが、当然、何が正解かだなんてわからない。

ただいつも心に留めている言葉があって、それは

「後悔はしない。挑戦し続けよう」です。

人生には光のようなものが必要だと。

そう思います。




 
 
 

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